インドに行ってきた!その6 最終回 タージマハル、そして帰国 [TRIP]
ムガルサライ9:55発。
連日の長距離移動もたたっているのか、体調がだんだん悪くなってきた。
鉄道の中で浮いているほど体調不良。
朝は何も食べていないのに、昼の50ルピー(100円)のカレー弁当が三分の一位もお腹に入らない。
それが唯一の食事なのに。
おじさんが「サモーサー!(じゃがいもをあげたスナック)」を連呼しながら何度も何度も通る。
においだけで、気持ち悪い。
何にも食べられない。
ミネラルウォーターだけが生命線。
タージマハルのあるアグラフォート駅着19:30。
もうすでに町は真っ暗。
これから、ホテルを探さないと。
地球の歩き方の最安のホテル、「シャー・ジャハーンに連れて行ってくれ」とオートリキシャーに連れて行ってもらう。
ホテルの部屋は、交渉してねぎり、結局250ルピー(500円)の一人部屋。
何も食べる気がせず、ラッシーで晩ご飯終了。
インド最終日の朝、6時に早起きしてタージマハルに行った。
引き続き食欲ゼロ。
相変わらずのインド人の群れ。入るのにも一苦労。
外国人価格で750ルピー。インド人は20ルピー。
極端なまでの外国人価格。
さすがのタージマハルは美しい。
タージマハルの裏には川が流れている。
さて、本日中にインドを脱出しないと。
デリーに行くぞ。
イードガーバスストップからバスでデリーへのインド最後の旅。
公称4時間だが、実際は5時間20分かかった。
渋滞がすごい。
でも、バスは鉄道より町の様子がよくわかるので良かった。
渋滞や信号待ちのバスには、突然、実演販売人が乗ってきて勝手に商いを始める。
一人は怪しげな薬、一人はボールペン、一人は蛍光ライトだった。
商売根性たくましい。
空港に何とかたどり着き、デリーを出るときのほっとした感は、相当なもの。
わずか4泊5日とはいえ、平均一日10時間以上乗り物に乗る、泊まるのは数百円の水シャワー付きの宿というのは、30代のサラリーマンにはなかなか堪えた。
僕の見た現代インドは、経済成長まっただ中の輝いているインドではなかった。
高級ブランド品が集まったショッピングモールもあるらしいが、その反対の普通のインドの姿。
・街が全体的に不衛生。ゴミ箱が街に見あたらない。
・ペットボトルを集めて売ることで生計を立てている人もたくさんいる。
・物乞いは鉄道の座席にも来たし、渋滞待ちのバスの中にも出没した。
・トイレは空港などの一部を除いて水洗便所ではなく、水を自分でくんで流すイメージ。
・食べ物はカレー系が多い。一食50円〜200円位で生活可能。
・英語も公用語のようだが、英語を話せる人は驚くべくほど少ない。また、非常に聞き取りにくい。僕が今回行ったインド北部ではヒンディ語が一般的のようだ。
・観光施設は、外国人料金とインド人料金が25倍〜50倍もある。これはいくらなんでもねえ。
・ニーハオとかアンニョンハシムニカと声をかけられることも少なくなかったが、僕が日本人と聞いていやな顔をされることは全くなかった。
というインドだった。
このわずか4泊5日のインドは、学生の時に戻ったかのような、すさまじいまでの虚無と感動を与えてくれた。
見事に、食欲がなくなり、おなかの調子もおかしくなった。
でも、すべてがインド。それがインド。
生きていることを実感。
日本での生活がいかに恵まれているか。
すべてに本当に感謝。
また行くよ。インド。 僕が生きていることを実感するために。
デリーから、一日かけて成田空港に着いたとき、何事もきちっとしている日本に誇りと、少しの不安を感じながら。
僕は日本人として生きて行く。
連日の長距離移動もたたっているのか、体調がだんだん悪くなってきた。
鉄道の中で浮いているほど体調不良。
朝は何も食べていないのに、昼の50ルピー(100円)のカレー弁当が三分の一位もお腹に入らない。
それが唯一の食事なのに。
おじさんが「サモーサー!(じゃがいもをあげたスナック)」を連呼しながら何度も何度も通る。
においだけで、気持ち悪い。
何にも食べられない。
ミネラルウォーターだけが生命線。
タージマハルのあるアグラフォート駅着19:30。
もうすでに町は真っ暗。
これから、ホテルを探さないと。
地球の歩き方の最安のホテル、「シャー・ジャハーンに連れて行ってくれ」とオートリキシャーに連れて行ってもらう。
ホテルの部屋は、交渉してねぎり、結局250ルピー(500円)の一人部屋。
何も食べる気がせず、ラッシーで晩ご飯終了。
インド最終日の朝、6時に早起きしてタージマハルに行った。
引き続き食欲ゼロ。
相変わらずのインド人の群れ。入るのにも一苦労。
外国人価格で750ルピー。インド人は20ルピー。
極端なまでの外国人価格。
さすがのタージマハルは美しい。
タージマハルの裏には川が流れている。
さて、本日中にインドを脱出しないと。
デリーに行くぞ。
イードガーバスストップからバスでデリーへのインド最後の旅。
公称4時間だが、実際は5時間20分かかった。
渋滞がすごい。
でも、バスは鉄道より町の様子がよくわかるので良かった。
渋滞や信号待ちのバスには、突然、実演販売人が乗ってきて勝手に商いを始める。
一人は怪しげな薬、一人はボールペン、一人は蛍光ライトだった。
商売根性たくましい。
空港に何とかたどり着き、デリーを出るときのほっとした感は、相当なもの。
わずか4泊5日とはいえ、平均一日10時間以上乗り物に乗る、泊まるのは数百円の水シャワー付きの宿というのは、30代のサラリーマンにはなかなか堪えた。
僕の見た現代インドは、経済成長まっただ中の輝いているインドではなかった。
高級ブランド品が集まったショッピングモールもあるらしいが、その反対の普通のインドの姿。
・街が全体的に不衛生。ゴミ箱が街に見あたらない。
・ペットボトルを集めて売ることで生計を立てている人もたくさんいる。
・物乞いは鉄道の座席にも来たし、渋滞待ちのバスの中にも出没した。
・トイレは空港などの一部を除いて水洗便所ではなく、水を自分でくんで流すイメージ。
・食べ物はカレー系が多い。一食50円〜200円位で生活可能。
・英語も公用語のようだが、英語を話せる人は驚くべくほど少ない。また、非常に聞き取りにくい。僕が今回行ったインド北部ではヒンディ語が一般的のようだ。
・観光施設は、外国人料金とインド人料金が25倍〜50倍もある。これはいくらなんでもねえ。
・ニーハオとかアンニョンハシムニカと声をかけられることも少なくなかったが、僕が日本人と聞いていやな顔をされることは全くなかった。
というインドだった。
このわずか4泊5日のインドは、学生の時に戻ったかのような、すさまじいまでの虚無と感動を与えてくれた。
見事に、食欲がなくなり、おなかの調子もおかしくなった。
でも、すべてがインド。それがインド。
生きていることを実感。
日本での生活がいかに恵まれているか。
すべてに本当に感謝。
また行くよ。インド。 僕が生きていることを実感するために。
デリーから、一日かけて成田空港に着いたとき、何事もきちっとしている日本に誇りと、少しの不安を感じながら。
僕は日本人として生きて行く。