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さようなら!VAIOとPDAへの物欲達 [情報社会と生活]

J-waveの年間チャートをW-ZERO3のストリーミングで聴きながら、今年(というここ数年)を振り返り、反省をこめて書きます。

12月18日の「デジタル化とアナログ人間」でも書きましたが、大学生のときからそれまでの機械音痴から脱却すべく、たくさんのパソコンを買ってきました。
パソコンは生産性を高める知的マシンとして当時大学生の私には魅力いっぱいでした。

はじめはデスクトップパソコンを買っていました。
当時はノートパソコンは値段が高い割に性能が不十分だったのです。
兄のすすめに従い、デザインに秀でているマックで通していました。

徐々に外でもインターネットが出来ることにあこがれ、モバイルノートに趣向が変わりました。
マックはモバイルノートがないため、デザインの悪いOSには不満を持ちつつも、数多くのモバイルノートをそろえるウィンドウズに変わりました。
VAIO505、C1といったモバイルノートをたくさん買いました。
それがさらに小さいものに、ポケットに入るものでということで、ザウルス、クリエ等の多くのPDAを買い求めきました。

現在は、さらに小さいユビキタスマシンとして携帯電話に関心が集中しています。
(PDAとしての携帯電話には日本の三大キャリアは十分に応えてくれていません。
なぜメモリーが劇的に増えたのに、スケジュールの登録件数は最大300件のままなのでしょうか。
メモ帳も含め、使い勝手が悪すぎます。
携帯電話をPDAとして使用できるのが事実上WindowsMobileだけというのはひどすぎます。)

その時々に一番関心のある製品分野について1年も全く持たずに次々と買い求めてきました。
本当に無駄遣いしているなあとわかりつつも。

確かに、パソコンにしろ、PDAにしろ、毎日使っていますが、使い方については限られており、インターネット、予定表、メモ帳、todo管理、動画閲覧、音楽プレーヤー、後は時々ゲームという感じです。
便利は便利だと思います。

むしろ問題なのは、毎日ネットで新機種やソフトの情報を追い求めたり、秋葉原を徘徊したりという時間。
毎日ネットで情報を追い求める時間が日課となり、もともとは生産性を上げようと思って使い始めたことがかえって生産性を下げているという現実。
自分が持っている物で自分が何をするのかということを突き詰めずに、新しい情報を得ることで自分の物のより良くなった性能やデザインに心動かされ、物欲地獄から逃れなくなるというジレンマ。

昨年の12月にモバイルノートのくびきから逃れるべく、同じくVAIOとはいえ、今まで買ってきたサイズのノートパソコンより大きいVGN-SZ80PSを買いました。
買ってから一年以上立ちましたが、ハードディスクの容量(80G)が少ないこと、スリープからの回復が遅い以外は不満は全くありません。
画面がきれいでスピードも速くキーボードも悪くない。
今まで買ったパソコンの中でもっとも優等生からもしれません。
おかげで1年前では恐ろしいほどあったVAIOのUに対する物欲は落ちています。
できることであれば、XPのサポートが続く限り使い続けたいと思っています。
最近は富士通のLOOX、工人舎にも小さいのが出ており、気になりまくりますが、背広のポケットに入る大きさになるまでは絶対買わない。

また、今年の12月に購入したばかりのW-Zero3も、この物欲地獄から解き放ってくれる大事なマシンになってくれると信じています。
すでに2年前に出たマシンで、お世辞にも形は良くありませんし、質感もチャチです。
大きいし、厚いし、バッテリの持ちも悪いし、WindowsMobilieはやたら落ちるし。
レスポンスもいまいちで通信のスピードも遅いです。
・・・すべて事前に知っていました。
知っていて買ったのです。
なんといってもウリは、bitwarpPDAの値段であり、月々約2100円で使い放題です。
携帯電話各社のプランだと料金以外のPCWEBサイトが見られるパケット放題は通常約6000円。
月々4000円弱の差、年間で約47000円の差。2年がんばれれば、約94000円。
この差額って相当大きいと思うのです。
この差額を使って、より生産的に出来ることを考えます。

悪い評判も知ってわざわざ買ったこのW-Zero3。
がっかりすることは全くありません。
画面は大きくて見やすいですし、ATOKを入れることで日本語の変換も賢く、キーボードもまあまあ打ちやすいです。
もともとのOSの不出来をカバーしてくれるソフトの充実も魅力です。
皮のシールも貼って質感がでてきました。
せっかくなので名前も付けて大切にします。今思いつきました。
愛着を持って徹底的に使いこなす方向で目標は2年間、少なくとも最低契約期間の1年間はがんばります。

来年はVAIOとPDAのハードの情報は追い求めない。
さようなら!VAIOとPDAへの物欲達。
(すみません、あまりにくだらない内容で。)


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「偽」の年 [情報社会と生活]

財団法人日本漢字能力検定協会が12月12日に発表した今年を表す漢字は「偽」でした。
「同協会によると偽(ギ・いつわる・にせ)は
(1)いつわる。だます。「偽悪」「偽証」「偽善」
(2)にせ。にせもの。「偽作」「虚偽」「真偽」
(3)人のしわざ。作為-を意味する漢字である。
応募者の理由によると、食肉や野菜の産地偽装、加工食品の原材料偽装、大手菓子メーカーやファーストフード店、名門の老舗料亭の賞味期限改ざんなど身近な食品に次々と偽りが発覚したことが「偽」が選ばれた最も大きな要因とされている。」
http://journal.mycom.co.jp/news/2007/12/12/025/

誰が見ても「偽」は良くありません。
ただ、マスコミが鬼の首を取ったように大騒ぎをしているのを観るとなんだか虚しくなります。
大体、マスコミの人たちは、自分の仕事で本当に「偽」っていないのでしょうか。
本当に正しいのでしょうか。
素朴な疑問。

他の人と話していてわかったのですが、私は他の人よりも「偽」に対して圧倒的に「寛容」(苦笑)でした。
それは、情報社会では、「偽」が圧倒的な量を占めていると確信していることが大きな理由です。
今回の件も、氷山の一角もいいところでしょう。
むしろ「小悪」もいいところで、もっとすごい悪いのがいっぱい隠れているはずです。
悲しいことにそれが現実だと思います。
だから、この程度の「偽」で心は乱れません。

ちなみに私がとりわけ「寛容」(苦笑)だった「偽」分野が、「白い恋人」や「赤福」等の賞味期限問題です。
別に誰かがおなかを壊したわけでもないみたいですし、賞味期限を必要以上に短く表示しすぎたりというのがとりあえずの問題点のようですので。
そういう無駄なところで「新鮮」とか見栄を張ってはいけません。
(「船場吉兆」はさすがに超高級店だけに夢を壊さないでくれという感じでしたけど。)
見栄を張るから、無理が起きる。
見栄は良くありません。

日本の賞味期限は全体的に短すぎると思うんですよねえ。
賞味期限が短いと潔癖症の人はどんどん捨てるから、環境にも良くないし、もっと全体的に長くしても良いのじゃないでしょうか。
私の場合、鈍いせいか、生もの以外については賞味期限は切れたものを普通に食べています。
賞味期限が1年もある食べ物が期限を1ヶ月過ぎただけで急に食べられなくなるわけないと普通に食べています。
・・・まず大丈夫です。

一方、中国等のアジア諸国なんて、大衆食堂で普通に火の通ったものを食べても、油が古くておなかを壊すなんてざらですし。
そういう大衆食堂を選ぶのもあくまで自分のリスク。
自分がもっと気をつけなくてはいけないと思うのです。

日本では、人は他人に対して全体的に完璧を求めすぎると思うのです。
その一方で、他人に批判をする割には自分が批判に耐えられるだけのことを出来ていない。
(それはもちろん自分自身にも当てはまります・・・)
他人を「偽」だと批判することで社会がますますギスギスしたものになる気がします。
もっと、「自分にも他人にも大らか」じゃだめでしょうか。
褒め合う社会の方が、暮らしている人は幸せだと思うのです。
それってやっぱり非現実的なのでしょうか。


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ゴミとの付き合い方 [情報社会と生活]

大掃除の季節がやってきましたが、全く手を付けていません。
このままでは、せっかくの年末年始を楽しく過ごすことができません・・・
そういう優先すべきことをやらないためか、なんだか目がさえて眠れないため、こんな駄文を書いてしまっています。
本日のテーマは大掃除から連想して「ゴミ」です。

ゴミとの付き合い方について、昔から関心があります。

いずれこのブログでも書くことになると思いますが、かつて私が行ったチベットではヤクという牛をフル活用している人々の暮らしを目にしました。
ヤクのミルク、肉はもちろん、皮をボートに、糞を燃料にしていました。
そういう生活に当時学生だった私は感動しました。
しかし、そんな風にはこの日本の都市部の生活では行かないでしょう。

私は、環境と消費の衝突という観点からゴミについて考えています。
環境のことを考えればゴミは出さなければ出さないほど良いわけですが、消費をすれば基本的にゴミは増えていきます。
物欲に強く訴えかける情報や広告が溢れる、この情報社会において環境と消費の両立は可能なのでしょうか。

よくゴミの3R(Reduce,Reuse,Recycle)と言います。

私も別に特段意識が強いほうではありませんが、生活習慣として地域が求めるゴミの分別はもちろんのこと、それにプラスして牛乳パック、ペットボトル等を洗って近くのスーパーのリサイクルボックスにまめに持っていっています。
また、趣味のパソコン等の電化製品の処分も可能な限りリサイクルショップに持っていって二束三文の値段で引き渡しています。
食べ物もできるだけ無理してでも食べて残さないようにして、生ゴミを増やさないようにしています。
こんなちっぽけな努力は、決して胸を張って言えることではなく、ゴミを大量に出していることに対しての贖罪の意識からなされています。
胸に手を当てれば、いかに自分が無駄なゴミを出していることか。

環境を考えた際には、3Rの中でもReduceが一番重要といわれます。
ゴミをReduce(減らす)ためには、究極的には物を買わないということになります。
そうでなければ、買った物を溜め込み続けるか、ひたすらリサイクルショップやネットオークションを使って、誰かに使用してもらうということになります。
そう考えると、本当は新しい物をできるだけ買わず、長く物を使ったほうが良いわけです。
これこそがMOTTAINAI精神なのでしょう。
ただ、高いストレスがたまる日常生活の中、自分が稼いだお金を使うことでストレスを解消している面は非常に強いのが現状です。

そのためにどうしたらよいかという答えは大雑把に言っておそらく二つあります。
一つは、物以外のことにお金を使うことです。
たとえば、マッサージや旅行といったサービス業にお金を使うことでストレスを解消するという方向性。
外で高級な食べ物を食べたり、高級なお酒を飲むことでストレスを解消するのもアリだと思います。
もう一つが、衝動買いはせずに消費を計画的に行い、自分にとっては高いくらいのベストな製品を買ってそれを徹底的に長く使うという方向性。
自分にとってのベストの製品を見つけるため、納得するまでインターネットや口コミ等の情報をしっかり調べるということ、そして、買った後は、愛情を持ってその製品を使い、メンテナンスをしっかり行い、決してインターネットでそのジャンルの新しい商品を追ったりしないということ(むしろこっちがポイントか?)が重要かなと思っています。

そう簡単には事柄は運ばないでしょうが、物を新しく買わなければ部屋もきれいに保たれやすいわけで、良いこと尽くしなはず。(と、自分に言い聞かせる。)

究極的には物欲がない人はそんなことがんばらなくても自然にできると思うので、そこまで精進できれば良いのでしょう・・・
もっと精進せねば。


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自家用車なしという生き方 [MONEY]

大学生のときに合宿で免許を取ってから、はや10年以上。
それまで、ほとんど運転せず、立派なペーパードライバー。
都心に住んでいるため、電車やバスでの移動に全く不自由を感じておらず、道も走りにくい。
駐車場代が高く、道楽で車に投資するだけの余力もない。
運動神経の悪い自分が乗ることで人でも轢いたら大変だ。
環境にも良くないし・・・
むしろ、歩くことが大好きで、自転車も好き。

そんな自分の人生設計から、とりあえず自家用車の保有はなくなりました。
その後押しをしてくれた記事を紹介します。

プレジデントファミリー(PRESIDENT Family)2007/02/18発売号 (07.4月号)のコラムの「マイカーを手放すといくら節約できますか?(藤川太氏)」で紹介されたシミュレーションです。
郊外に住み土日しか車(ワンボックスカー)を使用しない場合の例。
車両(新車)   350万円 を9年間使用すると仮定。
車検・自賠責等 45万円(車検費用1回当たり15万×3)
任意保険  63万円(年間7万円×9)
自動車税  45万円(年間5万円×9)
ガソリン代  162万円(=月1万5000円×12ヶ月×9)
駐車場代  86万円(=月8000円×12ヶ月×9)
合 計  751万円
年間平均 約83万5000円=月平均 約7万円弱

これをまねて、自分の場合でも試算してみました。
車両(新車)   200万円 を9年間使用すると仮定。自分のケースで適当に試算すると以下のとおり。
車検・自賠責等 30万円(車検費用1回当たり10万×3)
任意保険  36万円(年間4万円×9)
自動車税  31.5万円(年間3.5万円×9)
ガソリン代   54万円(=月5000円×12ヶ月×9)
駐車場代  324万円(=月3万円×12ヶ月×9)
合 計  675.5万円
年間平均 約75万円=月平均 約6.2万円
結構安い設定で挑んだつもりでしたが、駐車場代が重石となり、月約6万円。・・・高すぎる。

もちろん、郊外や地方に行ったら、自家用車がなくては生きていけないと思いますが、都心の生活が続く限りは自家用車なしで生きていきます。
その分の投資をどこでどうするかがむしろ重要ですね。


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女子高生に影響を与えるメディア [情報社会と生活]

面白い調査結果&記事を発見したので紹介します。
2007年12月24日の日経TRENDYnetの記事(by佐藤信正氏)によると、内閣府調査結果から、女子高生に対するインターネットの影響は時間の割には比較的少ないことがわかった。それは、女子高生にとって、現在のチャット的に使われているメールは、昔で言うところの長電話の位置づけだからとのことです。
その上で、「情報を得るためにインターネットを積極的に活用する若者は少ないのではないだろうか。」としています。
確かに、下の調査結果(携帯電話等利用前後の変化)を見ると、その分析は一つの捉え方だと思うし、理解できます。
○友人とのコミュニケーション:高校生女子83.9%,高校生男子78.7%,中学生女子75.5%
○生活の楽しさ等:高校生女子33.3%,高校生男子30.3%,中学生男子28.9%

個人的には新聞が青少年(10歳~29歳)のうち全く読まない人が多くなっていることに注目しています。
「新聞閲読時間,ニュース視聴時間について,まったく読まない人・まったく見ない人が増えている一方,長時間利用する人も増えている。(青少年全体)
 ○新聞閲読時間 0分:22.3% → 47.7%  30分以上: 8.7% → 16.0%
 ○ニュース視聴時間 0分: 6.9% → 12.1%  1時間以上:15.7% → 35.5%」
インターネットのニュースサイトですましているのでしょうか。
それとも、そもそもニュースに関心がない人が増えている?
逆に、長時間読む人の割合が増えているというのも興味深いです。
こんなところでも二極化ですね。

減ったり狭まったりしたものは、「睡眠時間」「学習時間」というのも注目しています。
「学習時間」はともかく(苦笑)、「睡眠時間」を減らすと余裕がなくなるし、どうかと思いますけどねえ。
 「○睡眠時間:高校生女子18.2%,中学生男子17.4%,中学生女子17.3%
  ○学習時間:中学生男子19.8%,高校生女子19.3%,高校生男子13.8%」

また、最近の世の中の考え方に強い影響を与えているもので、高校生になるとインターネットと親の考えが同じくらい影響力があるという点も興味深いですね。
時間の割には影響を与えていないのかもしれないけれど、少し前に比べれば隔世の感があります。
そこまでインターネットは高校生レベルでも影響を与えているのかという感じです。
私は、インターネットの影響がむしろ相当強くなってきたし、この流れは加速していくと感じています。

(出典)
ケータイ中毒の女子高生……でも、ネットにはあんまり影響されてない理由(日経TRENDYnet)
http://trendy.nikkeibp.co.jp/article/column/20071221/1005620/

内閣府調査「第5回情報化社会と青少年に関する意識調査について」(平成19年12月)
http://www8.cao.go.jp/youth/kenkyu/jouhou5/gaiyou.pdf


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「年賀状」という不思議な行事 [書くということ]

年賀状は不思議な行事です。
中国や韓国にも似たような習慣はあるようですが、日本独自の文化行事といっていいでしょう。
近年はPCメール、携帯メールの普及等から、年賀状の習慣が廃れてくる可能性は高いと思っていますが、一方で、私は年賀状の果たす特に二つの機能が面白いと思っています。

一つはリマインド機能。
年賀状は、一年間全く会わなかったり、話さなかったりする人にも書きます。
書くことで一年間一瞬も顔を思い出すことがなかった人のことを思い出す不思議。
「あぁ、こんな人いたなあ。こんなことあったっけなあ。」と思い出す。
日常生活でイッパイイッパイになってしまっているなかで、時間軸を変えて過去にお世話になったり遊んだりした人のことを思い出す。
そうやって自分の人生の記憶の整理を行う。
逆に「思い出して。」という意味もあって書く。
もう少しで切れてしまいそうな人と人のつながりを保たせるために重要なツールです。
少なくとも一年間に一回はこういう行事があった方が人間らしい。

もう一つは自分の字を人に読んでもらう機能。
子供の頃は、学校のテスト等で他人に読んでもらうことはよくありました。
大人になると通常他人に読んでもらうためにはパソコンで清書しますので、なかなか他人に読んでもらう機会はありません。(書く機会は自分用に書きなぐった手帳やメモが基本ですね。)
だからこそ、他人に見せるために手間をかけて字を書くという年賀状の有している機能の価値が出てくると思います。
最近、手紙の大切さをメディアで見聞きするというのはこういう理由もあるのでしょう。
また、字には人柄が出るといいます。
若いときからの友人だとその人独自のフォントに懐かしさがこみ上げてくるものです。

私の場合は、自分が丁寧に書いた字の汚さに絶望し、どうしてこんなに下手なのだろうとがっかりするのも恒例の行事です・・・
・・・今年の年末もまた絶望&反省でした。


タグ:年賀状
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人工美と自然美 [情報社会と生活]

ちょっとなつかしい2004年12月年末に丸の内であったミレナリオです。

対して、昨年夏の屋久島。
ここの自然は心に訴えかける圧倒的なものがあります。

いずれもきれいですが、全く対照的な存在です。
両方とも混み合っていました。
全く違うものを人が強く求めているということであり、非常に面白いと思います。


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デジタル化の中に見えるもの [情報社会と生活]

子供の頃、窓の外の庭をぼーっと見るのが好きでした。
食事のときも、外の庭をぼーっと見ているので、家族に何度も怒られました。
座っている時、下のカーペットの模様が人の形に見えたり、ロボットの形に見えたりして、いろいろ想像しながら、ぼーっと見るのが好きでした。
何にも考えない、ただぼーっとする子供の頃の私。
機械音痴で「触ると壊れる」とからかわれたりもしました。
数学や理科は大嫌いで、本当に苦手でした。

そんなアナログ人間の自分がコンピュータに触ったのは、PC9801VF時代なので、20年くらい前のこと。
ただし、ただの高級ゲーム機として。
初代の「信長の野望」、「イース」、システムソフトの「天下統一」にすごいはまりました。
プログラミングは、夢のまた夢。
そういうのが得意な人は脳みそのつくりが違うと普通に思っています。
その後、今は懐かしのパイオニア製のマッキントッシュ(GX-1)、Power Macintosh 8500、複数台のVAIO505シリーズを経て、現在はVAIOtypeSを使用しています。
メモリ、ハードディスクやCPUの交換を試みて何度も故障させました。
最近は、ノートパソコンのハードディスク交換もプロに任せています。
キャリアが長い割には、今でも普通の文系ビジネスマンができる程度の簡単なことしかできません。
PDAも6年ほど前から使っており、zaurus MI-L1、CLIE TG50、UX50、TH55 、zaurus sl-c860、そして現在、So-netbitwarp契約のW-ZERO3です。
プログラミングはいっさいできず、ただ皆様方が作成してくださっているソフトウェアをフル活用させていただいています。

そんな程度のコンピュータ知識しかない私が言うのもなんですが、最近は、いろいろな事象のデジタル化が進んでいるような気がします。
(ここで、私はデジタル化を数字化という程度でとらえています。)
音楽や映像なんかは典型的だと思うのですが、レコードやカセットの時代からCDの時代にかわり、ビデオからDVDに代わり、デジタル化が始まりました。
携帯電話も3G等の技術開発により、デジタル化が定着しています。
そういう技術面よりむしろ、私が気になっているのは、アナログなものを(時には無理矢理)デジタル化(数字化)しようという動きです。
評価、ランキング、格付けそういったものが数字ではっきり示されると非常にわかりやすく便利です。
人は、物事を短い時間で簡単に理解するために、単純化しよう、単純化しようというインセンティブが常に働いています。
そういった動きに、デジタル化はぴったり一致しています。
社会科学のはやりもデジタル化だと思います。
ただ、数字化するという行為は情報の何かをそぎ落としているわけです。
そのそぎ落とし方によっては、本質が見失われる危険があります。
本質を押さえたデジタル化とは何か、これは真剣に考えていかなければならない、非常に難しい問題だと思っています。


情報社会が貶める?村一番の物知りだった高齢者 [情報社会と生活]

エンターブレインの調べでは、任天堂DSが2007年11月25日時点での日本での2000万台を突破したとのことです。(ゲームボーイはすでに3000万台強売れたようです。)
日本人の六人に一人が持っているというすごい状態です。
DSについては、タッチペンを使うことにより、従来のゲーム機の概念を覆し、脳トレなどにジャンルを広げ、完全に大人まで巻き込んだところに、すごさを感じます。
まだ実験段階ですが、学校の授業で使われるようにもなっています。
次世代機はいつ頃出るのかわかりませんが、スペック重視ではなく、タッチペンのようなアナログ的な部分に着目したものにしていくのでしょう。
DSはゲーム機という誰でも入りやすいしっかりとした軸を持っている分、タッチペンや無線LANという媒介が入ることでPDAが目指していた多機能性を同時に訴求できる結果になり、伸びシロはまだまだありそうです。
(ゲーム機をビジネス道具にするというのはまだまだ抵抗はありそうですが、数年後にはビジネスマンがDSの後継機をビジネス手帳代わりに使っているかもしれません。)
iPodをベースにしたiPhoneも音楽再生機としてのしっかりした軸をベースにしている分、同じく商品としての訴求力が高そうです。
携帯電話もwoo、VIERA、EXLIM、Cyber-shotといった他の電気製品のブランドを使用するのも、類似の戦略だと思います。
最近の情報端末機のトレンドは、しっかりとした軸の上に他の機能を付け加えるということでなのしょう。
この流れが高度化、加速化し、社会に浸透していく。

電車に乗れば、DSや携帯電話等を使って、子供から中年くらいの人までゲーム、学習、テレビに興じている人が何人もいます。
この日本では、小型端末を持ち歩き、それと向き合うのが普通の日常になりました。
それを軸としてビジネスが生まれ、雇用が創出され、経済が発展していく。
この動きが通常の捉え方だと思います。

そして、もう一つの側面。
多くの場合、高齢者がこの情報社会において不利な立場にいるという点を指摘できます。
昔であれば、高齢者が一番の物知りであり、若者は高齢者から適切な情報を得るというのが普通の社会のあり方でした。
したがって、若者は、たとえ体力的に劣っていたとしても、知恵のある高齢者を自然と尊敬していました。
ところが、現在、ほとんどの高齢者は情報端末機が使いこなせず、若者から教えてもらう立場になってしまっています。
また、従来では高齢者から聞き出さなければならなかった知恵のほとんどをネットから引き出せるようになってしまっています。
これは、高齢者が自然に尊敬されなくなる一因にもなり、ひいては、年金問題等を巡る世代間の対立にもつながってしまうのではないか。
もちろん、コンピュータが自由に使いこなせる高齢者もたくさんいますし、また、使いこなせなくても自然と尊敬される能力•技能•人格等お持ちの方もたくさんいます。
でも、相対的に難しくなっているのは間違いない。
そんな心配しても仕方がないことを心配している今日この頃です。


「山村」が教えてくれる「都市」と言う名の情報嵐 [情報社会と生活]

富山の山村に出張に行った。
冬は非常に厳しく、決定的な特産品はない。
交通の便も悪く、コンビニなどのお店は全くと言っていいほどない。
特に若年者層の人口は減り続け、廃村の危機に直面している。
きちんと整備された道路だが、見渡せば、緑、空、川しか目に入ってこない。
耳を澄ましても、風や川の音のみ。
さびしいが、落ち着く。
こんなところでしばらく暮らしてみるのも悪くないかもと思った。

車で都市に戻って、数日ぶりに電車に乗った。
人、人、人。
そして、吊革にはスキャンダラスなニュースや水着を着た女性が雑誌の広告が立ち並ぶ。
車内放送や人の声・・・
情報量がけた違いに多く、刺激的である。
はじめこそクラクラしていたが、
その状況にほんの10分ほどでなれ、むしろ心地よさを感じている自分自身に驚く。
これこそが僕の日常なのだ。
この情報量、刺激が人を引きつける都市の魔力なのだろう。


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