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1996年8月はじめての海外 in Viet Nam③ [TRIP]

1996年8月はじめての海外 in Viet Nam②からの続き。

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この日本人の方、ベテランのバックパッカーでした。

ベトナムの事情をいろいろ教えていただき、ハノイでも一緒にホテル探しをすることになった。
初心者の自分では考えられないくらい、宿屋探しもこだわる。
僕は金魚の糞のように付いて行っただけだが、10軒くらい回った。

何度も交渉してツインベッドで一日10ドルの割と良い部屋が見つかりました。
今まで自分がベトナムで泊まっていたホテルより圧倒的に安い。
それでも「もっと安い所もあると思うんだけど。」とおっしゃっていた。
「こうやって、ホテルは探すんだ」と身をもって教えていただいた。

その人は、「やった、お湯のシャワーが出る!」と喜んでいた。
(僕自身がその気持ちをわかるのは2年後のこと。)

この人からは買い物の仕方も教わった。

ベトナムの軍隊帽子を僕が土産屋さんで見ていると
「欲しいですか?」
「・・・関心はあります。」
「わかりました。」

「軽はずみなことを言ってしまった」と後悔するほどの、すごい交渉が始まってしまった。

関西弁(当然日本語)のけんか腰で
値切る。
値切る。
値切る。

あまりにすごいので、野次馬ギャラリーがどんどん集まってくる。
はじめは笑顔の余裕のあった売り子さんだが、最後は本当に泣いていた。

「この値段ならどうですか?」
「十分すぎます。」

その場の雰囲気に圧倒され、ここで買わなきゃ店の人もかわいそうだと思いながら買った。

「関西人なんですか?」
「いえ、違います。関西弁のほうが迫力あるでしょ。」

そうなのだ。
アジアでの買い物は戦いなのだ。
無理な英語より、日本語で気合むき出しで行くことの方が良いのかもしれない。
とにかく迫力負けしないということが大事。

それは旅の他の場面でも同じこと。

そうこうしているうちに、少しは間の抜けた表情が抜けたのだろうか。
最後は歩いていてもベトナム人に声をかけられなくなった。
顔も日焼けして髭ぼうぼうで
汚らしいサンダル、Tシャツ、短パンじゃね。
何ていったってお金持っていなそうだし。
そりゃそうだ。

僕がベトナム人でも声かけたくないよ。
・・・・それはそれでさみしい(笑)

そんなこんなで帰国の時が迫ってきた。

当時は、リコンファームという飛行機に乗るための事前手続きがあった。
飛行機会社の決められた連絡先に電話で確認をしなければならなかった。
簡単な会話でも、英語で電話などしたことがない。
事前に何度か練習し、覚悟を決めて公衆電話で電話をかけた。
「リコンファーム、OK?」

非常に緊張しながらも何とか帰国の事前手続きも済ました。
僕の電話に対して、現地のオペレータの人は笑っていたような。
声の震えが聞こえたのかも。
お恥ずかしい話だ(苦笑)

(続く)


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1996年8月はじめての海外 in Viet Nam② [TRIP]

1996年8月はじめての海外 in Viet Nam①からの続き。

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朝食は、近くの屋台で、フォーやおかゆを食べた。
日本の家庭の風呂にあるような、プラスチックのチャチな椅子に座って。
両方ともあっさりしていてとても美味しかった。
日本円では100円にも届かない安い金額で、この美味しさ。
これは日本でも絶対流行る味だと思った。

おかゆを作ってくれる小錦(KONISHIKI)みたいな大柄なオバちゃんは
僕が「美味しい!」というと
「アジノモト!アジノモト!」と連呼して、味の素のビンをさした。
味の素のグルタミン酸は確かにうまいけどね(苦笑)
・・・ちょっとむなしい。

ホーチミンの街は、喧噪とした迫力が圧倒的で、慣れるのに時間がかかった。
同じホテルに泊まっていて、仲良くなった30代の日本人夫婦は言っていた。
「今、ベトナムは日本の昭和30年代、40年代の雰囲気なんだそうです。
でも、エネルギーが吸い取られるような感じがして、疲れますね。」
確かに疲れます。

(ちなみに、この夫婦は同じタクシーの運転手に10ドルでこのホテルに連れて来られた。
やっぱり、ボラレタのね。
僕の方は7ドルなので、ちょっとだけ優越感。
僕の見てくれが貧乏そうなので、まけてもらっただけかな。)

街の道路は、きちんと舗装されておらず、車はあまり走っていない。
人々はスクーターと自転車でツーリングを楽しんでいる。
街はクラクションの音で満開だ。
数多くのファミリーが、スクーターに4、5人乗りでツーリングを楽しんでいた。
スクーターは、こんなにパワーがあるんだと妙に関心。

スクーターに乗っている人たちは、「どうだ!俺のバイクを見ろ!」と誇らしげ。
話を聞くと、ホンダがNo.1ブランドらしく、自分の所有しているスーパーカブを自慢していた。
ホンダじゃないバイクにもホンダのステッカーを貼ってホンダっぽく見せている。
ご愛嬌。
白のままキープするのが格好良いとのことで、自分の愛車の外装を一生懸命磨いている。

さて、帰りの飛行機は、ハノイからだから、ホーチミンから脱出して北上せねば。
ホーチミン - ハノイ(1726km)の南北線(統一鉄道)を使おう。
長い電車の旅だ。
 
苦労して、中部にある古都フエまでのチケットを買った。
当時は外国人料金があり、現地人の二倍の料金で結構高かった。
「まあ、何とかなるだろう。」とケチって二番目に安いシートの席にしてしまった。

(参考)古都フエ(wikipedia記事)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A8

駅員さんが珍しい日本人を見ようと何人も集まってくる。
近くの席の人も珍しそうな目つきだ。

駅弁がつくが、安い席の弁当のせいか、美味しくはない。
パサパサしたご飯に、干からびたお肉等。
それにミネラルウォーター。
いずれも食事の時間に配られる。

寝台車にしなかったせいもあり、夜も普通に座った体制のまま眠る。
眠りは浅いが結構眠れる。

車窓から外をぼんやり見ていると、一面にベトナムの田や畑が広がっている。
その中には水牛と菅笠をかぶった農家の人が見える。

突然、数十人もの子供が電車の方を見つめている姿が目に入ってきた。
電車の客がお菓子や食べ物をどんどん外に向かって投げている。
子供たちはそれらを拾っている。
なんだろう。これは。
なぜか、宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」を思い出してしまった。

電車の中では、隣の席にいたベトナム人と片言の英語で会話をしていた。
僕の顔が締まりがなかったせいだろうか。
Be Careful.
と、忠告を受けた。
その彼がホテルを紹介してくれると言うのでフエを一緒に歩くことになった。

駅前では自転車の前に座席をつけた人力車「シクロ」の運転手が多くたもろしていた。
僕たちにしつこく声をかけてくる。
300メートルくらいずーっとついて来る。
しつこいなあ。

連れのベトナム人がベトナム語で何か発した。
すると突然、運転手激怒!

何が起こった??

連れのベトナム人が僕に向かって言った。
RUN!

何が起こったかわからないまま必死で逃げる。
そうこうしているうちに分かれ道で連れのベトナム人が泣きべそをかきながら言った。
BYE!
そう言いながら、細い橋を渡って僕を置いて行ってしまった。

「はい?BYE!って?約束は?」
しかし、ボヤっとしている場合ではない。
もう夜中の10時を回っている。
早くホテルを見つけなくては。

あわててホテルを探して大通りを徘徊。
目に入ったホテルで一番安い部屋に入った。
サイゴンビールを飲みながら、やれやれひどい目にあったと思いつつ、一服する。
まさにBe Careful.だな。

次の日は朝から古都フエの街をレンタサイクルで走り回った。

うだるような暑さだったが、風情がまだ残っており、独自の文明を感じた。
昼間からビールを飲んでのどを潤しながら、ホーチミンよりずっと落ち着いた雰囲気が気に入った。

さて、長居はしていられない。
ハノイ行きのチケットを買って、電車に乗った。
無事に生きて帰るぞ!

隣の席の人は、ひげがボーボーで色黒のアジア人だ。
お互いちょっと警戒。
「・・・もしかして、日本人ですか。」
「そうですが。」
「よかったああ!」(二人同時)
日本人と隣の席になることがこんなにうれしいことだとは思わなかった。

(続く)


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