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讃岐うどん巡りに行ってきた。 [TRIP]

先日、讃岐うどん巡りをした。
地元に住んでいる友人に案内してもらった。

まず、高松に着いたのが深夜。
それから飲んで、食べたのが「鶴丸」。
ここはなんと言っても「カレーうどん(650円)」らしく、夜食にいただきました。
普通に美味しい。
高松の人は、飲みの後、ラーメンではなく、うどんなのか。
深夜にも関わらず店は非常に込んでいた。
公式サイト↓
http://www.turumaru.jp/pc/index.php

次に、超有名店の綾歌郡綾川町「山越うどん」。
元祖「かまたま」の店。
込み合っているときは1時間以上待つらしい。
11時くらいだったが、30分くらいは待った。
店全体の作りの完成度が高い。
列の並び方の整備、食べる場所のスペース、土産屋も別途ある。
そこが面白くないといえば面白くない。
味は美味しい。
200円でこれだもんな。
携帯サイト↓
http://yamagoe.jp/

次に、仲多度郡まんのう町「山内うどん」。
ここはずいぶんへんぴなところにある。
店の雰囲気も写真の通り、個性的。
映画「UDON」に登場した店。
こういう雰囲気大好き。
「ひやあつ」という面白いメニューがある。
ぬるいというのだろうか、独特のコシ(エッジのきいたコシというらしい)。
200円の幸せ。
IMG_0046.jpg
IMG_0047.jpg

最後に、善通寺市にある「宮川製麺所」。
作っているところとお金を払うところが一体化しており、店の中は一種しっちゃかめっちゃか状態。
その雰囲気に味があって良い。
「ぶっかけ」とサービスの「生醤油」を友人たちと分け合って食べた。
一日にこれだけ食べても美味しい。
「生醤油」は「この食べ方が一番美味しい」と店の主人がおっしゃっていた。
確かに麺の味がよくわかる。
「うどん小」なんと140円。
この店が一番気に入った。
IMG_0050.jpg

深夜から昼間にかけて、4食強完食。
続けて食べることで店ごとの個性も何となくわかってきた。
香川人が一日に平均一食食べるというのも納得。
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ニューヨークに行ってきた。 [TRIP]

文化の日の休みの合間にニューヨークに行ってきた。

僕がこの前ニューヨークに行ったのが、2001年9月初旬。
ツインタワーの中にもブロードウェイのミュージカルの格安チケットを求めて入った。

WTCツインタワー.jpg

日本に帰ってきた一週間後に、911テロが起こった。
残業中、リアルタイムで見た、ツインタワーが崩れていく、あの衝撃的な映像は今も忘れられない。
もし一週間後にニューヨークにいたら、巻き込まれていたかもしれない。
これも運命か。

今は工事中で、跡形もない。
worldtradecenter.jpg

ちょうど、10月31日の夜にハロウィンの祭りがあり、地下鉄は人でごった返していた。
奥にスーパーマリオブラザーズのルイージの仮装をしている人が見える。
subway.jpg

ニューヨークは新しいものがいっぱいの刺激的な町なのに、古い町並みも残っている非常に魅力的な街だ。
でも日本の大都市の方がずっと清潔だった。
R0010754.jpg

コロンビア大学裏通り
コロンビア大学裏通り.jpg

エンパイアステートビルからの夜景
エンパイヤビルから夜景.jpg

メトロポリタン美術館
メトロポリタン美術館.jpg

古いイエローキャブ
イエローキャブ.jpg
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1998年夏トルコ・ギリシャ・北キプロスの旅⑥謎の巨大石像ネムルトダー [TRIP]

キノコ岩で有名なカッパドキアは、噂にたがわぬ迫力だった。
9月に入ったカッパドキアは空いており、安くて程よいホテルが簡単に確保できた。
水シャワーだったのが、たまに傷ではあったが。
観光地としても、イスタンブールと互角なくらい洗練されている。
日本人が観光客で最も多く、興醒めした。
あれだけテレビで紹介されていれば、無理はないか。

カッパドキアから、ネムルトダーを目指した。

ネムルトダーは2000メートル以上の山の頂上にある王墓。
すぐ近くのカフタという田舎町を拠点として目指した。

ここは本当に田舎だった。
僕が町を歩いているだけで、後ろを付いて来るガキども多数。
僕がレストランでご飯を食べているだけで、すぐに僕の周りに十数人集まってちょっかいかけてくる。
よほど珍しいようだ。
男にキスをされたりしてブルーになったこともあった。
「ゆっくりさせてくれー」という感じ。

雑貨屋のオッサンにつまえられて出会って五分ぐらいで。
「俺たちは友達だ。だから日本のパソコンを売ってくれ」
などというむちゃくちゃな要求をされたこともあった。

そういう僕も、彼らが興味を示した昔中国上海で700円ほどで買ったボロ時計を「日本では大ブーム」と嘘八百。
この時計はグルグル振り回すと「キラキラ点滅」するオモチャのようなチャチイもの。

これが、カフタのトルコ人には大ウケ。

初めて見せた次の日には、街の噂になったよう。
レストランに僕を見に来る人は、大人も多数来て数十人に膨れ上がっていた。
そして、僕がグルグル振り回す度にその数十人ははそのキラキラ点滅する時計を見て大歓声を上げていた。
何か宇宙人になった気がした。

ちなみにあの渋谷東急ハンズで、この時計と全く同じものが約4000円で売っていた(笑)
結構、ハンズも、胡散臭い物を売っていると思った。

目的地のネムルトダーはカフタの町から3時間もかかる辺境の場所。
当然ツアーを利用するしかないので、朝日を浴びた石像を見るツアーの交渉をした。
薄気味悪い笑顔で手招きをする胡散臭いオッサンと交渉を試みたが、あまりにたちが悪いので激突した。
ほとんど喧嘩状態。

結局、言い値の4分の1。
だまされていた他の日本人にもこのオッサンの言い値はおかしいことを教えたので、
オッサンに「おまえは性格が悪い、嫌いだ」と言われた。
あんたの言い値がひどすぎるだけだって。

ネムルトダー自体はすばらしかった。
朝日が頂上の石像に角度を変えて当たることで石像の顔が変わるのだ。
怒っているように見えたり暗い表情をしているように見えたり。

結構これはおもしろい。
朝日自体もきれいだったし。

NEMURU.JPG

トルコでの移動はあまりに激しく、毎日のように長距離バスだった。
宿代を浮かせる意味もあり、夜行バスに泊まることもしばしばだった。
結局、15か所を超える都市を回った。
基本はレンタサイクルし、できないときは徒歩とバスで移動した。
すさまじいまでの駆け足巡りだったと思う。

トルコ人はひとなつっこい人が多かった。
いろんな人と会った。

イスタンブールからアダナに向かう途中、トルコ人の5人のお子さんを連れたお母さんから、食べ物を恵んでもらった。
決して裕福そうには見えなかったが、僕がそれ以上にあまりにも貧乏な格好をしていたせいだろうか。

黒海に面したトラブゾンでは立身出世に燃える青年に町を案内してもらった。
お土産にもらった桃を食べて、おなかを激しく下し悲惨な目にもあった。
長距離バスの中で激痛を覚えたので、トルコ語ができない僕は本当にピンチだった。
「地球の歩き方」の「痛い」というトルコ語と僕のお腹を指さし、バスを止めてもらった。
「旅の恥はかき捨て」というが、さすがに今でも恥ずかしい。

昔の街並みがきれいに残り世界遺産に景観が指定されたサフランボルではビール瓶を持った少年二人組に写真を撮って送ってくれとせがまれた。
「写るんです」だったので、「紙でできているのに使えるの?」と驚いていた。

バス停でバスを待っていたら、酔っぱらったおじさんにたばこを勧められたが、断ったら、無理やり煙草を口に入れられて吸わされた。
たばこはそれまで吸ったことがなかったので、本当に驚いた。

トルコ中部のバスターミナルでは、「われわれは、アジア人じゃなく、ヨーロッパ人になりたいんだ。」と力説する青年にも会った。

そういう出会いが僕を少しずつ成長させてくれた。
いきあったりばったりだからこそ出会えた人ばかりだった。

数年後、トルコ大地震が起きた時、社会人一年目だった僕は本当に心ばかりではあるが支援金を出したのだった。

「トルコ・ギリシャ編 終」

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1998年夏トルコ・ギリシャ・北キプロスの旅⑤アララト山にノアの方舟の跡? [TRIP]

イラン国境の街、ドゥーバヤジットに向かう。
イスタンブールからバスに揺られること20時間。
来るまでにバスが何度も軍隊に止められる。
理由はゲリラ対策とのこと。
夜間はバスを縦列にして軍隊が周りを守るほど。
朝、バスが止まり、ちょっと空気でも吸おうと、外に出ると隣に数台の戦車があったのにはさすがにビビった。
東地区はPKKなどのゲリラが多数いる。
国道以外は全部しゃれにならないくらい危険とのこと。

やっと、ドゥーバヤジットに着く。
焼けつくような暑さだ。
さすが、ほぼ中東。
イランにもそのまま行ってみたくなる。

この辺になると当然現地ツアーすらない。
タクシーのオッサンと例によって交渉することになる。
今回も粘って言い値の4分の1(1回の交渉で30分くらいかかる)。
まあ、これ以上やると嫌われちゃうからね。
(後で知り合った日本人は値切りきれず、僕の倍かかったそうだ。)
タクシーのおっさんにいかにゲリラが怖いかを脅されつつ、見どころを回る。

町のすぐ隣にノアの方舟が漂着したことで有名なアララト山がある
5000メートル以上ある雄大な景色。
神々しい。

mtararato.jpg

そしてノアの方舟の跡と地元の人が言う嘘臭い変わった形の地形。
ここまで嘘臭いとコメントのしようがないが。
トルコ大学の研究チームが、ノアの方舟の跡と実証したというパネルが貼ってあった…

NOA.JPG

他にも世界で二番目に大きいメテオホール(隕石孔)がある。
これもなかなか。
何のパネルもなく、そのまま野ざらしで、日本だったら考えられない。

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他にも寺院等見どころはあるが、整備が全く行き届いていない。
トルコにおける東西問題を感じた。

そして、バスに乗り北上、ワンに着く。
ここはドゥーバヤジットからバスで出たが昼に数本あるだけ。
夜はゲリラ対策のためになし。

トルコ軍によるパスポートチェックも東トルコでは10回以上あった。
東側は旅に緊張感ありまくり。

ワンの売りはワン猫(笑)
この猫、ただものじゃない。
まず、数が数十頭しかいない。
絶滅危惧種だ。

にもかかわらず、町の人にすらどこにいるのかあまり知られてない。
生活が苦しくて、猫どころではないといったところか。

町のはずれの大学の研究所まで行って。
駐屯している軍隊にパスポートまで預けさせられてはじめて見ることができた。
逆を言うと、パスポートを取られても見たかったアホなわたし。

まさに伝説のネコ様。
それから写真だとわかりにくいと思うけど。
片目が緑でもう片目が青い(毛は白い)。
そして、猫なのに泳げる(らしい)。

VANCAT.JPG

次にワッシー(笑)
ワン湖にいると言われる恐竜型モンスター(大笑)
絶対いない!(といいつつ一生懸命探してしまったが。)
でも、町の売りなんだな。
ポスターにものっているし。

と、ここまではまがい物系。
本当の見どころはワン湖です。
7色に輝く湖と言われ塩湖でもあります。
本当にきれい。
城から見た夕焼けも良かったですよ。

CASTLE.JPG

LAKEVAN.JPG

湖の中の小島にアクダマルというギリシャ正教に近い系統のキリスト教系の教会跡もある。
壁画も残っており、「こんなところにこんなものが」という感じだ。

人情も厚いし。
観光化されておらず、見所もたくさんありますが(胡散臭いものも含めて)。
東部はやっぱり治安が悪いからお勧めはできないのかなあ。
治安さえよければと思うと、本当に残念。

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1998年夏トルコ・ギリシャ・北キプロスの旅④アテネはエロス? [TRIP]

そして、船に乗り、今度はアテネへ。
アテネはすごすぎる。
よく土産店に売ってあったTシャツのロゴがそれを表しているかも。

”Greece is
1% LOVE,
9% MONEY,
90% SEX.”

・・・確かに、そういうところかもね(笑)
ここは。

着いた早々売春婦のお姉さんに声をかけられ。
ストリップ劇場やらがたくさんあるし。
普通の駅の売店で危ないビデオが売ってあるし。
ヌードの絵はがきがいっぱいあるし。

日本の比ではない(特にユースホステルがあるオモニア広場周辺)

僕はと言えば、
まあ、普通にパルテノン広場、国立博物館に行って。

SHRINE.JPG

普通に街を歩いて無名戦士の墓の「交代の儀式」を見て。
(ギリシャの兵隊さんは足にフリルを付けている)。

SOLDIER.JPG

国立庭園で5歳くらいの子どもに「写るんです!」を分捕られ写真を取られたり。

SMILE.JPG

食事もサンドイッチとギロ(200円くらい)しか食べなかったし、
ユースホステルのフリーのジャガイモと100円くらいのビールで宴会したり、
ブラジル人のラジオを直したり、
スパゲティーを作ったりしてだらだらしていた。

相変わらずのド貧乏ぶり。

そうだ!
一つだけ、ちゃんと金を使った。
パルテノン神殿の隣に古代劇場があって、連日コンサートをやっている。
そこでモーツアルト(笑)を聴いた。
何と5000円のA席で。

使うときは使うのだ。
ここは情緒溢れていい場所です。
お勧め。

なお、ギリシャに行くときは学生証明書を持っていくこと。
これでほとんどの入場料が半額になる。
らくだは忘れて数千円損した。

ギリシャを出国する当日に気づいたんだけど。
この国にはもう一つ秘境があって。

それがメテオラという地。
巨大な岩が某ファイナルファンタジーの同名の魔法のように突き刺さっているらしい。
かなり奥地にあるそうだが。

行きたい(後悔)
そして、今度は陸路でトルコに戻り、そのままイラン国境に長距離バスで移動するのであった。
マイナーなトルコの辺境を目指す!

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1998年夏トルコ・ギリシャ・北キプロスの旅③ どこまでも碧いエーゲ海 [TRIP]

北キプロスを抜けた後、いい加減、危険な所はいやだと思い、トルコ内の観光地経由でギリシャに向かうことにした。

まず、長距離バスでトルコの中西部のパムッカレに向かった。

自然の石灰岩からお湯があふれ出るパムッカレはそれはきれいな所だったらしい。
ところが温泉宿の作り過ぎで枯れてきている(下の写真参照)。

PAM.JPG

ここの山頂の温泉プールは最高だった。
まるでソーダ水の中で泳いでいるような気持ち。
もっと前なら、もっときれいだったと思うとちょっと残念だ。

次に、炎天下のセルチュク・エフェスでローマ時代の遺跡を探し歩いた。
トルコはこういう古い遺跡も結構あって楽しい。

セルチュクの近くから僕は、ギリシャ南東部にあるサモス島を目指した。

当然、安くてエーゲ海を満喫できるボートで入国。
エーゲ海は果てしなく碧い!

SEASAMOS.JPG

サモス島は、客引きがあまりいないし、観光観光しておらず、とても落ち着いていて良い場所。

海は波が強いけどめちゃめちゃきれい。
こんなにきれいな海ははじめてみたというレベル。

そして、ギリシャ名物の「ヌーディストビーチ」もある。
おじいちゃん、おばあちゃんが多く、なぜか家庭的な雰囲気。
いやらしさゼロ。

自転車を借りて島中を走り回ろうとしたが、坂がとにかく急。
暑いこともあり、もうへろへろ。
日射病になりかけたが、2リットルのミネラルウォーターを片手に駆け抜けた。

安くてめちゃめちゃ美味しいレストランを発見して、毎日通い詰めた。
トルコのケバブ地獄にさすがに辟易していたので、オリーブ油を中心とした新鮮な魚や野菜のメニューは本当においしく感じた。

宿屋も清潔で気持ち良く、最高に幸せな数日を過ごした。

その後、渡ったのが、エーゲ海最高のリゾート地と言われるミコノス島。
ここは確かにすごい。
家はかわいい形をしており完全に白塗りで町全体が統一されていてリゾートな雰囲気。

しかーし
高い!!

何なんだここの高さは(怒)
一番安い部屋が6000円もするだと。(サモス島は2000円だったぞ。)
食べ物が何で1000円以上するんよ。
(それまでの食費が平均200~500円。宿代は500~2000円だった。)

貧乏学生に旅行するなというんですか。
なめんなよネコ状態。
港で見た、グルメで新鮮な魚を観光客に要求すると評判のペリカンも態度がでかい。(すでに八つ当たり状態。)

PELICAN.JPG

僕は結局、テントを借りて泊まった(悲)

が、結果、大失敗。
まず、高い(全部で2000円位する。)
僕のテントは破れており、蚊がぶんぶん入ってくる。
これじゃあ、眠れない。
仕方がないので、海辺で寝た。
ただの野宿。まるで借りた意味なし。

しかし、海はすごい。
エーゲ海は果てしなく碧くすんでいてきれいだが、波が高いのが難点。
なぜか、ここの海は全く波が無い。
魚が浜辺の近くまで集まっているのが良くわかる。
砂の細かさも大きすぎず小さすぎず。

ヌーディストビーチもすごかった。
さすが、ゴージャスなミコノス島。サモス島とは違う。
何がって、それは御想像にお任せします。

とにかく、さすがだ。

そんなきれいなミコノス島で浮き輪にぷかぷか浮かんでいると、多分船から漏れたと思われる油の塊に直撃。
上半身と浮き輪がべとべとになり、現地人に同情される始末。
なんて運が悪いんだろう。
1時間以上かけてやっと大体汚れが落ちた。

でもそれも良い思い出。
さて、そろそろアテネに向かいますか。
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1998年夏トルコ・ギリシャ・北キプロスの旅② 北キプロスにて大ピンチ [TRIP]

完全に迷子になってしまった僕を旅の道連れにしようとしているおっさん(50歳くらい?)
どうやらルーマニア人の元船乗りだそうだ。

「どこ行くの?」
「北キプロス」
そんな国あったっけ?
キプロス島なら聞いたことがあるけど。
(EUに加盟しているのは南キプロス、ギリシャ系。北キプロスはトルコがキプロス島の北を占領してできた国。その時は全く知らなかった。)

「一緒に行こう!」
無責任に言うルーマニア人。

何にもない情報のない国に行くことに少しだけ心配になりつつも、すでに恐怖心が麻痺した僕は思わず言ってしまった。
「よし、行こう。」

こうして、ますます不幸のつぼにはまっていく。

海路でトルコ(タルスス)→北キプロス(ギルネ)へ。
厳重なパスポートチェックを受け、ボートに乗って全くイメージもわかない未知の国北キプロスへ。

・・・しかも、おっさんにくっついているだけなので、
命綱は、出会ったばかりのこのルーマニア人のおっさんだ。
聞けば、船乗りだった当時、世界を船で渡ったそうで、足に大きな傷がある歴戦の勇者。人相も映画に出てくる海賊みたいだ。
友達を訪ねに北キプロスまでわざわざ行くことにしたらしい。
よくわからんが、頼もしいぞ。

僕も多分、泊めてくれるとのこと。
「ああ、何とかなりそうだ。」
ほっと胸をなで下ろす。

海路で着いた北キプロスだが、何の感慨もない。
どんよりとした天気で、大地が荒涼としている。
キプロス島と聞いて思い描いていたバカンスイメージは全くないのだ。
バスの通り道には、基地がたくさんあり、銃を構えた兵隊さんがたくさんいる。
逆に一般人がほとんど歩いていない。
何だろうね。この国は?

まあ、何とかなるだろう。
ルーマニア人のおっさんがいるし。

・・・しかし、その安堵は数時間と続かなかった。
おっさん、港で友達を見つけるや僕に。

”宿は用意できない。Bye!”
で去っていってしまったのである。

シャレになっていない。

今、私はどこにいるのでしょう?
地図がなく言葉も通じません。
周りに日本人どころがアジア人は一人もいません。
しかも、トラベラーズチェック以外、ほとんど金なし。
情報も全くゼロ。

私はどうなるのでしょう。
”Oh,my GOD!!”絶叫状態。

兵隊が何人も連なって出来ている像を中心にした雰囲気がぴりぴりしている中央公園。
PARK.JPG

近くには母子が虐殺される様子を克明に残した像もある。
観光とはかけ離れた雰囲気。
・・・・とにかくこの国から脱出しなきゃいけないと真剣になった。

まず現金が全くないため、トラベラーズチェックを現金化しようとした。
港の両替屋、何とレートの半額を提示してきた。
これはいくらなんでも吹っかけすぎ、日本人をなめるなと怒りながら、交渉した。
が、埒が明かない。

地図もない近くの町を歩き回り、何とか両替屋を発見。
正常なレートでトラベラーズチェックを現金化。
安宿を探し歩いて確保して、次の日の午前中に北キプロスを何とか脱出した。

とにかく、パスポート、金、宿、飯、これが全ての生命線。

この経験で、自分の命は自分自身で守らなければならないということを当たり前のことを心から実感した。
この北キプロスのことは本当に全くわからなかったけれど、あまりに良い思い出がないので、もう二度とこの国に来ることはないと思う。

こういう旅行の仕方を絶対してはいけないと深く反省した。

そして、トルコに戻り、旅のプランを立て直すことにしたのであった。
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1998年トルコ・ギリシャ・北キプロスの旅① Where am I? [TRIP]

蔵出し第3弾!
大学4年時、今からちょうど10年前の旅です。
周りが全く行っていなかった領域だったトルコ・ギリシャ・北キプロスに1ヶ月間旅行しました。
この旅は、陸路・海路で、1万キロを超える移動距離で、一日平均7時間乗物に乗ってました。
それはそれは体力があったころの話です。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

行きと帰りの成田・イスタンブール間の飛行機切符だけ握りしめ、
トルコとギリシャに行くぞとだけ決めて、もちろんホテルの予約もせずに、旅に出た。

深夜0時についたイスタンブールはちょっと雰囲気が悪く、目の前に見えたホテルに1泊した。
ホテルは古く汚く、従業員も無愛想だった。
早く脱出しなくては。

「トルコは何となく怖いし、とりあえず、楽そうなギリシャでウォーミングアップだな。」

翌朝さっそく、イスタンブールのバスターミナルにあるというアテネ行き直行便のバスを探しに出かけた。

このバスターミナル、やたらでかいのである。
トルコはバスがはったつしていると聞いていたけど、ここまでとは。
周辺でアテネ行きのバスを探して歩き回る。

すると、トルコ人のおじさんが話しかけてくる。
トルコ語で何言っているのか全然わからない。
(僕は事前に全然勉強しない不真面目な旅行者なのです。)

どうせいつものパターンで「どこに行きたいんだ?」と言っているに違いないと勝手に理解。
「アテネ!」
すると、「オー、アダナ!アダナ!」
「おう!通じたようだ♪」
ちょっと、怖いのでバス会社の案内を見ると、ADANAと書いてある。

「きっと「アテネ」はトルコ語で「アダナ」なんだな」と勝手に理解。
それでも一応慎重に地図のアテネを見せると「オー、アダナ、アダナ。オッケー」と言う。

どうやら正しいようだ。
僕が心配そうな顔をしているのを見てバス会社のおじさんが値段をどんどん下げてきた。
(そう、トルコはバスを値切ることが楽勝で可能なのだ。)
結局、聞いていた値段の半額以下。

「ラッキーだな。」と思った。そのときは・・・

しばらく待ってバスに乗る。
なんかやたら大きな橋を渡る。

bosuporasu.jpg

「??これってボスボラス海峡じゃないかなあ。」

(・・・この時点で気づくべきだった。だって逆方向だもん。明らかに。方向感覚が悪いにもほどがある。)

などとぼんやりと思いながら、どうせ他の乗客はみんな英語の分からないトルコ人だし。
「ま、いいか。」
疲れていたので深く眠りについた・・・・

・・・・・「ううん?」
深夜2時頃周りの運転手のおっさんにつつかれて起こされ、バスから追い出される。
「もう着いたのか。アテネ近いな。」
僕の他に降りたのは初老の西洋人だけ。
「あれ、おかしくない?」

外は当然、真っ暗。
しかも、目の前にあるのはアルファベットの看板のみ。

「・・・確か、ギリシャってギリシャ文字だったよな・・・」
その瞬間、「ううん?何かおかしいぞ?」

・・・・ぞっーとしてきた。
わたしゃその西洋人に聞きやした。

"Where am I?"
「わたしはこのひろいちきゅうのどこにいるのでしょうか??(思考停止)」
「ここはどこ?私は誰?」状態・・・・

まさか、人生でこんな英語を使うことがあるとは・・・

・・・・おっさんと話しているとどうやらここは「アダナ」という地中海近くのトルコの南部の町らしい
えっ??
・・・・そんな、町あったの?

トルコに着いてから一日もたたないうちに完全に迷子になりやした。
絶望のどん底。

"Come together!"
おっさんが無責任に言う。

本当にもうどうでも良くなってきた。
おっさん、どこか島に行くらしい。
藁にもすがる気持ちでお供することになった。

本当にどうなってしまうんだろう・・・

~~~1998年トルコ・ギリシャ・北キプロスの旅②に続く
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1997年8月中国・チベット感動一人旅⑤ [TRIP]


バスの外の暗やみから

まさに千秋みたいな
うるさくて甲高い声がする。
バスの運転手がそのグループと交渉している。

「おいおい、まさか日本人だからって売り渡されたりしないよな。」

しばらくすると、謎の物体の入った袋がバスに何十も詰め込まれた。

周りは汚い袋だらけ。

「なんだ、なんだ?」

千秋他10人弱の中国人が乗り込んできた。
特に千秋がやたらうるさい。
これじゃあ眠れない。
こちとらお金を払ってるんだぞ(怒)

「黙れ、千秋(怒)」
(心の叫び)

千秋地獄。

周りの袋は何だろう?
袋の破れたところから見えたのは、「栗」

「なぜに栗?」

そして、次の日の朝。
なんか足の上をもそもそ歩いている物体あり。

「うん?」

…それはとっくり虫だった。
しかも何匹もいる。

「や、やめてくれー!!」

とっくり虫地獄。

南京近郊に着いてからも大渋滞に巻き込まれ、とっくり虫にキレたラクだはバスを途中下車し、バイクタクシーに乗り換えた。

侵華日軍南京大屠(虐)殺遇難同胞紀念館(いわゆる南京大虐殺紀念館)に向かった。
バイクタクシーの運転手さんは、僕が日本人だとわかると何ともいえない複雑な顔をした。
施設はガラガラだったが、ここでも、またいろいろと考えさせられた。

南京から上海は特急電車で向かった。

自分の指定席に自分と同じくらいの年の中国人の若者が座って大騒ぎをしていた。
チケットを見せても、番号と違うその辺の席に座れば良いのだというジェスチャーをした。
…そういうものなのだろうか。
まあいいや。
中国人がはしゃいでいるのを横目で見ながら、車窓をボーっと眺めていた。

着いた上海では目的の安宿(浦江飯店のドミトリー)まで、上海の裏番地を歩いた。
上海にも貧しい人々がたくさん暮らしている場所がある。
表通りの華やかさと、裏の何ともいえない暗さ。
これもまた中国なのだろう。

浦江飯店で、帰るだけだなと寂しくもあり、ホッとする気持ちもありで
荷物を整理したときに、まだいたのである。

とっくり虫が。

大ショック・・・
「あなたはなぜ上海まで付いてくる。」

上海では最後の晩餐ということで、上海蟹を食べた。
大衆食堂だったからか、味音痴のためか「普通の蟹かな」程度にしか感じなかった。
刺身でも食べたが、今から考えれば、よくお腹を壊さなかったと思う。

上海の最後の夜は、ちょうど一五夜だったので月見をした。

異国でぼーっと月を見ていると不思議な気持ちになった。
月というのは不思議な気持ちを引き起こすのだ。

長江の河口に行くと、なんと月食で逆流していた。
ますます何ともいえない気持ちになった。

上海の華やかなテレビ塔を見ながら、ぼーっと考えていた。

「来てよかった。いつかまた、I shall returnだ。」

(トルコ・ギリシャ・北キプロス編に続く。)


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1997年8月中国・チベット感動一人旅④ [TRIP]

夜の2時から宿を取るのはもったいないと思い、武漢の街をふらふらと徹夜しながら夜を明かした。

途中、ミネラルウォーターのペットボトルを買った。
ペットボトルに何か入っている。

「ス、ストロー」

なぜかストローが入っている。
キャップをとろうとすると、力なくあっさりと開く。
不気味だ。

「これはもしかして…」
本当の意味でのミネラルウォーターではない?

ためしに一口、口に含む。
入れた瞬間、
「ぐっぐっぐーーきゅーきゅー」
お腹が拒否しているような変な音がした。
においもおかしい。

もしかしてただの 水 道 水。
もったいないと思いつつも、泣く泣く飲まずに処分した。
それからは、ミネラルウォーターを買うときはストローが入っていないか、キャップはちゃんとしまっているかどうか、よくよく吟味するようになった。

また、日本で牛乳を毎日飲んでいるラクだは、中国旅行中、乳製品不足に悩んでいた。
旅行中、屋台でヨーグルトが売っていること(及び中国語での買い方)を教えてもらった。
「スワンナイ、ヨーマ?」
大体「メイヨー(没有=ないよ)」だが、たまに買えるとうれしかった。
味は、学校給食についてくるヨーグルトと大差なく、美味しかった。

食べ物も中華料理は好きなため、全く飽きなかったが、注文では苦労した。
ラクだの第三外国語「何ちゃって中国語」では、レストランで注文しても大抵通じない。
メニューがない店では、いつも他の人の食べている料理を指していた。
一方で、「チンジャオロース」だけはなぜか日本語のままで通じるということも旅行中わかった。
とりあえず、「チンジャオロース!」
困ったときにも、「チンジャオロース!」
これも生きぬく知恵なり。

武漢のバスターミナルの近くに、焼き餃子の屋台があり、20個で25円の激安餃子を買った。
中国では餃子は水餃子が格上で、焼き餃子や揚げ餃子は下人が食べる格下料理らしいが、とても美味しかった。

その数分後、数人の中国人警官が他の屋台の店主に対して何か文句を言っている。
そして、その時…

警官が屋台に火をつけた!

屋台に火が高々と上がった!

慌てふためく店主。
それを見て、ニタニタ笑う警官。
周りの人々も、かわいそうにという顔をしながら、ただ遠めに見るだけ。

これが中国の現状なのかと、強烈なショックを受けた。

武漢からバスで南京を目指すことにした。
電車は切符がなかなか買えないが、バスは身分証がなくても切符をすんなり買えた。

しかし、このバスがまたすさまじい。

何と、のらネコが乗っている。

座席の下でニャーニャー鳴いている。

…なぜ、君はここにいるの?
周りで便を済ますのでちょっと勘弁して欲しかった。

しかし、そんなことは序の口だった。

バスは山奥の道なき道をひたすら進む。
何でこんな山奥を走るわけ。
本当に南京にちゃんと着くのだろうか。(不安)

深夜1時くらい、眠っているところをむりやり起こされた。
レストランに着いたから、食事を食えとの指図。

このレストランがまたすごい。
ただのコンクリートむき出しの建物でメニューとかもあるわけが無い。
料理人のおじさんの前によくわからない材料が並んであるだけ。
こっちで材料を指差して作ってもらうものらしい。
それは無理だろー。

超いい加減に気持ち悪そうな材料以外のものをいくつか指すと、
おじさん「ほんとうにこれでいいのか」と言うけげんな顔。
周りの人はにやにやしながら僕を見ている。
できあがったもの。
それは…甘くて香辛料の入っているうどんに謎の肉と野菜が入っているとてもこの世の食べ物とは思えない代物だった。

…撃沈。
マズすぎ。

それでも何とか完食すると、レストランの主人はちょっと驚いたような顔をしていた。
我慢大会の勝者に贈られるような顔だ。

その後も、バスは山道を進む。
再び眠りについたと思ったら、突然急ブレーキ。

「なんだ、なんだ」

真っ暗闇の中、周りを伺うと数十人の中国人に周りを囲まれている。

「もしかしてやばい・・・・(冷や汗)」

(1997年8月中国・チベット感動一人旅⑤に続く)


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