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「偽」の年 [情報社会と生活]

財団法人日本漢字能力検定協会が12月12日に発表した今年を表す漢字は「偽」でした。
「同協会によると偽(ギ・いつわる・にせ)は
(1)いつわる。だます。「偽悪」「偽証」「偽善」
(2)にせ。にせもの。「偽作」「虚偽」「真偽」
(3)人のしわざ。作為-を意味する漢字である。
応募者の理由によると、食肉や野菜の産地偽装、加工食品の原材料偽装、大手菓子メーカーやファーストフード店、名門の老舗料亭の賞味期限改ざんなど身近な食品に次々と偽りが発覚したことが「偽」が選ばれた最も大きな要因とされている。」
http://journal.mycom.co.jp/news/2007/12/12/025/

誰が見ても「偽」は良くありません。
ただ、マスコミが鬼の首を取ったように大騒ぎをしているのを観るとなんだか虚しくなります。
大体、マスコミの人たちは、自分の仕事で本当に「偽」っていないのでしょうか。
本当に正しいのでしょうか。
素朴な疑問。

他の人と話していてわかったのですが、私は他の人よりも「偽」に対して圧倒的に「寛容」(苦笑)でした。
それは、情報社会では、「偽」が圧倒的な量を占めていると確信していることが大きな理由です。
今回の件も、氷山の一角もいいところでしょう。
むしろ「小悪」もいいところで、もっとすごい悪いのがいっぱい隠れているはずです。
悲しいことにそれが現実だと思います。
だから、この程度の「偽」で心は乱れません。

ちなみに私がとりわけ「寛容」(苦笑)だった「偽」分野が、「白い恋人」や「赤福」等の賞味期限問題です。
別に誰かがおなかを壊したわけでもないみたいですし、賞味期限を必要以上に短く表示しすぎたりというのがとりあえずの問題点のようですので。
そういう無駄なところで「新鮮」とか見栄を張ってはいけません。
(「船場吉兆」はさすがに超高級店だけに夢を壊さないでくれという感じでしたけど。)
見栄を張るから、無理が起きる。
見栄は良くありません。

日本の賞味期限は全体的に短すぎると思うんですよねえ。
賞味期限が短いと潔癖症の人はどんどん捨てるから、環境にも良くないし、もっと全体的に長くしても良いのじゃないでしょうか。
私の場合、鈍いせいか、生もの以外については賞味期限は切れたものを普通に食べています。
賞味期限が1年もある食べ物が期限を1ヶ月過ぎただけで急に食べられなくなるわけないと普通に食べています。
・・・まず大丈夫です。

一方、中国等のアジア諸国なんて、大衆食堂で普通に火の通ったものを食べても、油が古くておなかを壊すなんてざらですし。
そういう大衆食堂を選ぶのもあくまで自分のリスク。
自分がもっと気をつけなくてはいけないと思うのです。

日本では、人は他人に対して全体的に完璧を求めすぎると思うのです。
その一方で、他人に批判をする割には自分が批判に耐えられるだけのことを出来ていない。
(それはもちろん自分自身にも当てはまります・・・)
他人を「偽」だと批判することで社会がますますギスギスしたものになる気がします。
もっと、「自分にも他人にも大らか」じゃだめでしょうか。
褒め合う社会の方が、暮らしている人は幸せだと思うのです。
それってやっぱり非現実的なのでしょうか。


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ゴミとの付き合い方 [情報社会と生活]

大掃除の季節がやってきましたが、全く手を付けていません。
このままでは、せっかくの年末年始を楽しく過ごすことができません・・・
そういう優先すべきことをやらないためか、なんだか目がさえて眠れないため、こんな駄文を書いてしまっています。
本日のテーマは大掃除から連想して「ゴミ」です。

ゴミとの付き合い方について、昔から関心があります。

いずれこのブログでも書くことになると思いますが、かつて私が行ったチベットではヤクという牛をフル活用している人々の暮らしを目にしました。
ヤクのミルク、肉はもちろん、皮をボートに、糞を燃料にしていました。
そういう生活に当時学生だった私は感動しました。
しかし、そんな風にはこの日本の都市部の生活では行かないでしょう。

私は、環境と消費の衝突という観点からゴミについて考えています。
環境のことを考えればゴミは出さなければ出さないほど良いわけですが、消費をすれば基本的にゴミは増えていきます。
物欲に強く訴えかける情報や広告が溢れる、この情報社会において環境と消費の両立は可能なのでしょうか。

よくゴミの3R(Reduce,Reuse,Recycle)と言います。

私も別に特段意識が強いほうではありませんが、生活習慣として地域が求めるゴミの分別はもちろんのこと、それにプラスして牛乳パック、ペットボトル等を洗って近くのスーパーのリサイクルボックスにまめに持っていっています。
また、趣味のパソコン等の電化製品の処分も可能な限りリサイクルショップに持っていって二束三文の値段で引き渡しています。
食べ物もできるだけ無理してでも食べて残さないようにして、生ゴミを増やさないようにしています。
こんなちっぽけな努力は、決して胸を張って言えることではなく、ゴミを大量に出していることに対しての贖罪の意識からなされています。
胸に手を当てれば、いかに自分が無駄なゴミを出していることか。

環境を考えた際には、3Rの中でもReduceが一番重要といわれます。
ゴミをReduce(減らす)ためには、究極的には物を買わないということになります。
そうでなければ、買った物を溜め込み続けるか、ひたすらリサイクルショップやネットオークションを使って、誰かに使用してもらうということになります。
そう考えると、本当は新しい物をできるだけ買わず、長く物を使ったほうが良いわけです。
これこそがMOTTAINAI精神なのでしょう。
ただ、高いストレスがたまる日常生活の中、自分が稼いだお金を使うことでストレスを解消している面は非常に強いのが現状です。

そのためにどうしたらよいかという答えは大雑把に言っておそらく二つあります。
一つは、物以外のことにお金を使うことです。
たとえば、マッサージや旅行といったサービス業にお金を使うことでストレスを解消するという方向性。
外で高級な食べ物を食べたり、高級なお酒を飲むことでストレスを解消するのもアリだと思います。
もう一つが、衝動買いはせずに消費を計画的に行い、自分にとっては高いくらいのベストな製品を買ってそれを徹底的に長く使うという方向性。
自分にとってのベストの製品を見つけるため、納得するまでインターネットや口コミ等の情報をしっかり調べるということ、そして、買った後は、愛情を持ってその製品を使い、メンテナンスをしっかり行い、決してインターネットでそのジャンルの新しい商品を追ったりしないということ(むしろこっちがポイントか?)が重要かなと思っています。

そう簡単には事柄は運ばないでしょうが、物を新しく買わなければ部屋もきれいに保たれやすいわけで、良いこと尽くしなはず。(と、自分に言い聞かせる。)

究極的には物欲がない人はそんなことがんばらなくても自然にできると思うので、そこまで精進できれば良いのでしょう・・・
もっと精進せねば。


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