人工美と自然美 [情報社会と生活]
ちょっとなつかしい2004年12月年末に丸の内であったミレナリオです。
対して、昨年夏の屋久島。
ここの自然は心に訴えかける圧倒的なものがあります。
いずれもきれいですが、全く対照的な存在です。
両方とも混み合っていました。
全く違うものを人が強く求めているということであり、非常に面白いと思います。
デジタル化の中に見えるもの [情報社会と生活]
子供の頃、窓の外の庭をぼーっと見るのが好きでした。
食事のときも、外の庭をぼーっと見ているので、家族に何度も怒られました。
座っている時、下のカーペットの模様が人の形に見えたり、ロボットの形に見えたりして、いろいろ想像しながら、ぼーっと見るのが好きでした。
何にも考えない、ただぼーっとする子供の頃の私。
機械音痴で「触ると壊れる」とからかわれたりもしました。
数学や理科は大嫌いで、本当に苦手でした。
そんなアナログ人間の自分がコンピュータに触ったのは、PC9801VF時代なので、20年くらい前のこと。
ただし、ただの高級ゲーム機として。
初代の「信長の野望」、「イース」、システムソフトの「天下統一」にすごいはまりました。
プログラミングは、夢のまた夢。
そういうのが得意な人は脳みそのつくりが違うと普通に思っています。
その後、今は懐かしのパイオニア製のマッキントッシュ(GX-1)、Power Macintosh 8500、複数台のVAIO505シリーズを経て、現在はVAIOtypeSを使用しています。
メモリ、ハードディスクやCPUの交換を試みて何度も故障させました。
最近は、ノートパソコンのハードディスク交換もプロに任せています。
キャリアが長い割には、今でも普通の文系ビジネスマンができる程度の簡単なことしかできません。
PDAも6年ほど前から使っており、zaurus MI-L1、CLIE TG50、UX50、TH55 、zaurus sl-c860、そして現在、So-netbitwarp契約のW-ZERO3です。
プログラミングはいっさいできず、ただ皆様方が作成してくださっているソフトウェアをフル活用させていただいています。
そんな程度のコンピュータ知識しかない私が言うのもなんですが、最近は、いろいろな事象のデジタル化が進んでいるような気がします。
(ここで、私はデジタル化を数字化という程度でとらえています。)
音楽や映像なんかは典型的だと思うのですが、レコードやカセットの時代からCDの時代にかわり、ビデオからDVDに代わり、デジタル化が始まりました。
携帯電話も3G等の技術開発により、デジタル化が定着しています。
そういう技術面よりむしろ、私が気になっているのは、アナログなものを(時には無理矢理)デジタル化(数字化)しようという動きです。
評価、ランキング、格付けそういったものが数字ではっきり示されると非常にわかりやすく便利です。
人は、物事を短い時間で簡単に理解するために、単純化しよう、単純化しようというインセンティブが常に働いています。
そういった動きに、デジタル化はぴったり一致しています。
社会科学のはやりもデジタル化だと思います。
ただ、数字化するという行為は情報の何かをそぎ落としているわけです。
そのそぎ落とし方によっては、本質が見失われる危険があります。
本質を押さえたデジタル化とは何か、これは真剣に考えていかなければならない、非常に難しい問題だと思っています。
情報社会が貶める?村一番の物知りだった高齢者 [情報社会と生活]
エンターブレインの調べでは、任天堂DSが2007年11月25日時点での日本での2000万台を突破したとのことです。(ゲームボーイはすでに3000万台強売れたようです。)
日本人の六人に一人が持っているというすごい状態です。
DSについては、タッチペンを使うことにより、従来のゲーム機の概念を覆し、脳トレなどにジャンルを広げ、完全に大人まで巻き込んだところに、すごさを感じます。
まだ実験段階ですが、学校の授業で使われるようにもなっています。
次世代機はいつ頃出るのかわかりませんが、スペック重視ではなく、タッチペンのようなアナログ的な部分に着目したものにしていくのでしょう。
DSはゲーム機という誰でも入りやすいしっかりとした軸を持っている分、タッチペンや無線LANという媒介が入ることでPDAが目指していた多機能性を同時に訴求できる結果になり、伸びシロはまだまだありそうです。
(ゲーム機をビジネス道具にするというのはまだまだ抵抗はありそうですが、数年後にはビジネスマンがDSの後継機をビジネス手帳代わりに使っているかもしれません。)
iPodをベースにしたiPhoneも音楽再生機としてのしっかりした軸をベースにしている分、同じく商品としての訴求力が高そうです。
携帯電話もwoo、VIERA、EXLIM、Cyber-shotといった他の電気製品のブランドを使用するのも、類似の戦略だと思います。
最近の情報端末機のトレンドは、しっかりとした軸の上に他の機能を付け加えるということでなのしょう。
この流れが高度化、加速化し、社会に浸透していく。
電車に乗れば、DSや携帯電話等を使って、子供から中年くらいの人までゲーム、学習、テレビに興じている人が何人もいます。
この日本では、小型端末を持ち歩き、それと向き合うのが普通の日常になりました。
それを軸としてビジネスが生まれ、雇用が創出され、経済が発展していく。
この動きが通常の捉え方だと思います。
そして、もう一つの側面。
多くの場合、高齢者がこの情報社会において不利な立場にいるという点を指摘できます。
昔であれば、高齢者が一番の物知りであり、若者は高齢者から適切な情報を得るというのが普通の社会のあり方でした。
したがって、若者は、たとえ体力的に劣っていたとしても、知恵のある高齢者を自然と尊敬していました。
ところが、現在、ほとんどの高齢者は情報端末機が使いこなせず、若者から教えてもらう立場になってしまっています。
また、従来では高齢者から聞き出さなければならなかった知恵のほとんどをネットから引き出せるようになってしまっています。
これは、高齢者が自然に尊敬されなくなる一因にもなり、ひいては、年金問題等を巡る世代間の対立にもつながってしまうのではないか。
もちろん、コンピュータが自由に使いこなせる高齢者もたくさんいますし、また、使いこなせなくても自然と尊敬される能力•技能•人格等お持ちの方もたくさんいます。
でも、相対的に難しくなっているのは間違いない。
そんな心配しても仕方がないことを心配している今日この頃です。
「山村」が教えてくれる「都市」と言う名の情報嵐 [情報社会と生活]
富山の山村に出張に行った。
冬は非常に厳しく、決定的な特産品はない。
交通の便も悪く、コンビニなどのお店は全くと言っていいほどない。
特に若年者層の人口は減り続け、廃村の危機に直面している。
きちんと整備された道路だが、見渡せば、緑、空、川しか目に入ってこない。
耳を澄ましても、風や川の音のみ。
さびしいが、落ち着く。
こんなところでしばらく暮らしてみるのも悪くないかもと思った。
車で都市に戻って、数日ぶりに電車に乗った。
人、人、人。
そして、吊革にはスキャンダラスなニュースや水着を着た女性が雑誌の広告が立ち並ぶ。
車内放送や人の声・・・
情報量がけた違いに多く、刺激的である。
はじめこそクラクラしていたが、
その状況にほんの10分ほどでなれ、むしろ心地よさを感じている自分自身に驚く。
これこそが僕の日常なのだ。
この情報量、刺激が人を引きつける都市の魔力なのだろう。
新聞記者って自分の影響力に意外と無自覚!? [メディア論]
新聞の若手記者と飲み会で話をしていると驚くことが多い。
彼らは、自分たちの書いている記事の影響力の強さに思いのほか「無自覚」です。
彼が書いている新聞記事というのは、他のメディアに比べて信頼が高い。(下の調査結果参照。他にも多数。)
http://japan.internet.com/research/20070508/1.html
テレビは影響力の大きさではメディアで一番ですが、新聞がメディアの中で信頼度は一番。
新聞に書いていることは、「真実」だと思う人は多いのではないでしょうか。
実際、行政や企業のプレスリリースなんて原文に当たる人なんてほとんどいないでしょうし、新聞で概要を読むのが普通ですよね。
でも、全国紙であっても一紙しか書いていないことは、憶測記事、あるいは事実誤認の確率が高いのです。
また、新聞でも数字が間違っていたりすることはあります。
おそらくこれは新聞社でも原文に当たらず電話での聞き取り等により確認を取っているからでしょう。
大事な点で本当か確認したい場合、まずは他の新聞を確認することです。
複数新聞を取っている人はあまりいないでしょうが、インターネットの新聞記事を見れば確認がとれます。
(実は複数の新聞記事になっていても間違っている場合も結構あるのですが・・・少なくとも「正解」の確率は上がります。)
とはいえ、その間違った新聞記事をテレビが紹介したりするから、その間違った情報がどんどん広がっていくのです。
テレビのコメンテーターの影響力の強さ、「新聞」への世間の信頼の強さを痛感するのはこういう時です。
でも、新聞記者も一人のサラリーマン。
自分がデスクから校正されまくる記事がそれほどの影響を持っているとは思っていません。
だから、機会があれば、僕は決まって言うのです。
「あなたは、僕なんかより大きな影響力のある仕事をしている。
大きな責任があることに自覚を持ってほしい。そして、視野を広げてほしい。」
それは、僕以外の多くの読者にとっても、大切なことだと思うからです。