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若葉のこと [PET]

柴犬の若葉(わかば)が亡くなって、もう10年たった。
若葉が亡くなったのは、ちょうど今日のような寒い日だった。

若葉の夢を見るのは、もう何十回になるだろう。
「もっと、やさしく出来たのに」との後悔の念がそういう気にさせるのかもしれない。

若葉が来たのは、僕が小学校4年生のときだった。
来たときは売れ残っていたのか、生後4ヶ月をすぎていた。
とてもかわいらしい子犬とは呼べないような、何かにおびえた表情が印象的な、やせっぽちの犬だった。

うちに来た当初は、人が怖いらしく、新しい犬小屋に入ったきり、警戒して出てこない。
誰もいないのを確認して、やっとえさを食べていた。
来る前にどんなひどい目にあったのだろうか。

来て数日後、僕が小学校から帰ると、若葉はいない。
兄と、何時間も探し回ったあげく、駐在所から連絡があり、おまわりさんの机の下に申し訳なそうに座っていた。
どうやら、道路工事の音が怖かったらしく、犬小屋のある二階のベランダから飛び降りたのだ。
近所の人に聞いた話だと、午後2時頃に「キャイン!」という犬の叫び声が聞こえたらしい。
結局、他の人の家の庭に無断侵入しているところを保護されて、駐在所に連れてこられた。

とにかく大きな音が苦手で、はじめの頃はちょっと壁をたたいただけで、2メートルくらい逃げた。
雷が鳴ったら、さあ大変。
窓をドン!ドン!たたいて、大変な形相で「家に入れてくれー!しぬう!」と騒ぎ立てる。
入れてあげると、一目散に階段を駆け下り、靴箱の狭い隅っこのスペースに駆け込んで、尻尾をこれでもかというくらい下げて、ブルブルガタガタ震えている。

そうかと思うと、散歩から帰って首輪を取った瞬間に脱走し、公道を爆走。
車がたくさん走っている道路をダッシュで横切ろうとし、大きなトラックの下をくぐった。
「わっ!!!」

その瞬間、本当に死んだかと思った。
・・・若葉は、何事もなかったような余裕の表情で、道路を渡ったところで用を足していた。
「まったく、この子は。」

そのうち、僕たちの家に慣れてくると、表情も柔和になり、毛並みもだいぶ良くなった。
眉毛が黒い点だったので、僕はよく「公家さん眉毛だ」と喜んで触っていた。

慣れてきても、本当に薄情な犬で、なでてあげても尻尾を軽く1,2回振るだけ。
それ以上は、面倒くさそうにただ見ているだけ。
むしろ、ジリジリと遠くに行ってしまう。
そして、よくベランダから遠くの富士山等の山々をボーっと見ていた。
「この子は、何を考えているんだろう。」

エサのときだけは、必死に愛想を振りまいていた。
自分のもち芸をすべて披露し、必死のアピール。
それ以外のときは、芸の一つしなかった。
「現金な奴め。」

ゲンキンな若葉は、散歩係の僕が学校から帰ってくると、まだ姿が見えない何百メートルも先から、足音なのかにおいなのかで発見し、「キャイーン、キャイーン」と散歩を求める大合唱だった。
散歩は本当に大好きだった。
散歩のコースが短そうだとわかると抗議のストライキのつもりか、伏せをして動かない。
「言うこと聞け!コイツー」とよくバトルをした。

不思議と人に抱かれるのは好きなようで、貼り付けた写真(現存する唯一の写真)のようにおとなしくスマしていた。

家族の中で一番大好きだった母の移動手段だったからか、車が大好きで、車に対しよく尻尾を振っていた。
乗るのも大好きで、楽しそうに窓から窓へ移動しては車窓を一生懸命眺めていた。

若葉が亡くなった当時、僕は大学の寮に住んでおり、たまたま実家に帰っていた。
出かけるときに、極めてめずらしいことに若葉が犬小屋から出てきて、尻尾を振って見送ってくれた。
僕はうれしくなって、「本当に珍しいねえ。どういう風の吹き回し?」となでてあげた。
その次の日の朝、若葉は冷たくなっていたそうだ。
若葉は僕に最後の挨拶をしてくれたのだった。

死に目に会えなかったからか、後悔の念はいつまでたっても消えない。

もっと長い時間散歩に連れて行ってあげたらよかった。
もっと美味しいえさをたくさんあげればよかった。
もっと写真を取っておけばよかった。

僕の夢にはこれからも若葉が出てくるのだろう。
生きていたときのゲンキンで薄情なキャラクターのままで。


タグ:散歩係 柴犬
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