デジタル化の中に見えるもの [情報社会と生活]
子供の頃、窓の外の庭をぼーっと見るのが好きでした。
食事のときも、外の庭をぼーっと見ているので、家族に何度も怒られました。
座っている時、下のカーペットの模様が人の形に見えたり、ロボットの形に見えたりして、いろいろ想像しながら、ぼーっと見るのが好きでした。
何にも考えない、ただぼーっとする子供の頃の私。
機械音痴で「触ると壊れる」とからかわれたりもしました。
数学や理科は大嫌いで、本当に苦手でした。
そんなアナログ人間の自分がコンピュータに触ったのは、PC9801VF時代なので、20年くらい前のこと。
ただし、ただの高級ゲーム機として。
初代の「信長の野望」、「イース」、システムソフトの「天下統一」にすごいはまりました。
プログラミングは、夢のまた夢。
そういうのが得意な人は脳みそのつくりが違うと普通に思っています。
その後、今は懐かしのパイオニア製のマッキントッシュ(GX-1)、Power Macintosh 8500、複数台のVAIO505シリーズを経て、現在はVAIOtypeSを使用しています。
メモリ、ハードディスクやCPUの交換を試みて何度も故障させました。
最近は、ノートパソコンのハードディスク交換もプロに任せています。
キャリアが長い割には、今でも普通の文系ビジネスマンができる程度の簡単なことしかできません。
PDAも6年ほど前から使っており、zaurus MI-L1、CLIE TG50、UX50、TH55 、zaurus sl-c860、そして現在、So-netbitwarp契約のW-ZERO3です。
プログラミングはいっさいできず、ただ皆様方が作成してくださっているソフトウェアをフル活用させていただいています。
そんな程度のコンピュータ知識しかない私が言うのもなんですが、最近は、いろいろな事象のデジタル化が進んでいるような気がします。
(ここで、私はデジタル化を数字化という程度でとらえています。)
音楽や映像なんかは典型的だと思うのですが、レコードやカセットの時代からCDの時代にかわり、ビデオからDVDに代わり、デジタル化が始まりました。
携帯電話も3G等の技術開発により、デジタル化が定着しています。
そういう技術面よりむしろ、私が気になっているのは、アナログなものを(時には無理矢理)デジタル化(数字化)しようという動きです。
評価、ランキング、格付けそういったものが数字ではっきり示されると非常にわかりやすく便利です。
人は、物事を短い時間で簡単に理解するために、単純化しよう、単純化しようというインセンティブが常に働いています。
そういった動きに、デジタル化はぴったり一致しています。
社会科学のはやりもデジタル化だと思います。
ただ、数字化するという行為は情報の何かをそぎ落としているわけです。
そのそぎ落とし方によっては、本質が見失われる危険があります。
本質を押さえたデジタル化とは何か、これは真剣に考えていかなければならない、非常に難しい問題だと思っています。
コメント 0